兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で1987年5月、小尻知博記者(当時29歳)ら2人が散弾銃で殺傷された事件は3日、発生から26年を迎えた。一連の朝日新聞襲撃事件は2003年までに全て公訴時効が成立したが、多くの市民が支局1階の拝礼所を訪れ、遺影に手を合わせた。
教員を目指していた大学生時代に小尻記者から教育問題について取材を受けた千葉市稲毛区の高校教諭、沼山尚一郎さん(49)は「今年はご長女が小尻さんと同じ29歳になると聞き、時の流れを感じる。事件を闇に葬り去らず、後世に伝えたい」と語った。
母親から事件のことを聞き初めて慰霊に訪れた西宮市の保育士、野田千紗子さん(28)は「事件を機に言論の自由の重要性が見直されたと知った。一つの出来事にいろんな考え方ができる社会であってほしい」と話した。
一方、広島県呉市川尻町の小尻記者の実家では、親族のみで法要が営まれた。父信克さんは11年7月に83歳で死去。母みよ子さん(82)は数年前から同市の高齢者福祉施設で暮らしている。朝日新聞社によると、この日は自宅に戻り、小尻記者の妻裕子さん(53)や長女美樹さん(28)とともに故人をしのんだという。
実家近くにある墓に参った阿部圭介・朝日新聞大阪本社編集局長(56)は「26年前は銃撃という物理的な言論弾圧だったが、今はインターネット上の言葉の暴力といった形に変容した。小尻記者の死を無駄にしないためにも、言論の自由を守っていく」と話した。
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